2016年12月31日土曜日

発達さんの持ち物は・・・


「ファッション雑誌みたいな、発達障害マガジン」がほしい


前々から、そう思っていました。
ライトにパラパラ読める、ファッション誌のような、「イワユル福祉っぽくない」おしゃれな感じ。それでいて、生活に密着して役立つ記事。
そういうものを作れないかな?とは、思っていました。

それで、今回ふと思いつきで「かばんの中身特集」のようなものを作ってみました。
Twitterで、たくさんのユーザさんにご協力いただきました。
また、まだこの特集記事は作る予定です。
年明け、1月中には資料が出揃うので、ぼちぼちすすめます。

他にも、旅に出るための工夫、生活の工夫、おもちゃ、靴、メイク・・・いろいろな記事ができたらおもしろいんんじゃないかと思います。できないことも、工夫していることも、できることも、ある程度せきららにかっこ悪く。でも、見た目かっこよく、可愛く。

さて、まず3人のカバンの中身を公開です。

1. もり(製作者本人)




製作者本人です。ASD診断がおりています。ADHDではありませんがまあまあうっかり屋なので、そのように記述。
なんとこの記事では、「QuietOn」の撮影も、触れることすら忘れているウッカリぶりです(後日直す予定ですが、忘れるかも・・・う・・・)。

2. あおさん



2人めは、あおさん(@deepblue_0926)(『ボクの彼女は発達障害』の「あお」さん)。いろいろとお世話になっている方です。私と如月さん(3人目)のヘルプマークは、彼女に送ってもらったものだという共通点があります。なんというか、二人目の時点で結構「とにかく入れろ、話はそれからだ」という点ですごく共通したものを感じる。

3.如月さん





3人めは、如月さん(@kisaragikou0220)。こちらも何かとお世話になっている方です。いちばんスッキリした使い方かもしれません。しかし随所にこだわりが。
そういえば私、障害者手帳も出してないな(お薬手帳に入ってる)。「基本セット」と「お出かけ」にに分けて情報をいただきました。やっぱり「いつものセット」があるとよさそうです。


いかがでしょうか


今回は、デザイン重視で、読みやすさはわりと度外視ぎみです。
雑誌がコンセプトなので、読み込めずともさらっと目を通せる程度でいいかな、と思います。
気になるアイテムに関しては、質問してもらってもかまいません。むしろ嬉しく思います。
はからずも、3人がそれぞれわりと個性が出て、面白くなりました!共通点はあれど、こうやって明らかにすると、それぞれが引き立って、ポップでかわいいなあ。

また、情報が出揃ったら、現在のものから変化するかもしれませんが、まずはここまでを公開します。

こういうことが、昔から本当に好きだなあ、と思い返します。
保育園の「おたより」なんかも、真似してオリジナルおたよりを作っていました。
ノートまとめも好きでした。
好きなことがいろいろ繋がるのは、ワクワクします!


2016年12月25日日曜日

自傷・自殺衝動の正体?

前回の記事前々回の記事と、自傷と自殺衝動のようなもの(とおりもの)について取り上げました。
このことは、病院でも話題に上がっています。
これは医療者としてはかなり見逃せない行動であるようで、くわしく話を聞かれました。

「たまたまウツだから、死ぬっていう方向になっただけ」


わたし個人としては、先の記事の状態以上の詳しい話をしろと言われても、困るなあと言う感じで、わりとしぶしぶ言葉を拾っては紡ぎました。
そこで、より詳しく・近い言葉を並べたのが以下です。

・死にたいわけじゃない
・時間稼ぎにつぶやいたりわーっとしゃべったりする
・うわーっと暴れたいような衝動。
・わきたつ興奮!
・たまたま前に人が立ってたりしたら、どんって押しちゃう気がする。

と、こんなふうです。
臨床心理の先生は、最後の「他者への攻撃」の衝動に注目しました。「これがどうして出てくるのかわからないなあ」などと言いながら。また、「別の人に話しかけられてるわけじゃないんだよね」とも確認されました。
だから、わたしはもう少し言葉を重ねました。

・別に他の人がいるとかじゃない。一番近い感覚が妖怪みたいな感じ
・うーん、死にたいのはたまたまそれがワカリヤスイ。なんか、やってみたい?ような。
・もじゃもじゃして気持ち悪いからばーんってしたい。

と、こんなふうに説明してゆくと、なんだか合点がいったようで。

「ああ、なるほど。うつの死にたい、というより、自己刺激行動の一種なのね。そりゃあ自傷もでますわ〜」

と言いました。

ほう、なるほど。
よくわからんような、たしかにしっくりくるような気がします。

わたしの自己刺激(っぽいもの)




そういうわけで、自己刺激について、頭の中からずらずらと出てきたものたちです。
身体感覚の希薄さ(よく「発達障害者の粗大運動や微細運動の不器用さ」でいわれるもの)や、低緊張のたぐい(低緊張についてはこちらのページにくわしいです)から、こういう行動が出ているようです。

たしかに、こういうものも、なんとなく体が拡散して安定しなくて、じっとできる安定的な姿勢が保てなくて気持ちが悪くて、体の中がもじゃもじゃしてうわーっとして、静と動の差が激しくて、起こってくるような感じがしますし、先の自殺衝動や自傷も、似たような感覚があります。

そこに、たまたまうつ病になってしまって、「死にたい」が身近なものになって。
そうして、そういう衝動としての発露が加わったのかもしれません。

うつと、発達障害の累乗で起こったような現象とみるといいかもしれません。

主治医には、「頓服を、適度に使うように」言われました。うわーっとなったら、暴れないで、ランニングをするなど、試しては、とも。
できるときは良いですが、できないときは、輪ゴムや身近な手遊びグッズで間をもたせつつ、ナントカ人間の形状を保って生きられればいいかなあ。自分や周りが傷つかないように生きられたら、合格です。幸せなんて思えたら、はなまるです。

2016年12月23日金曜日

とおりもの

うつは、数年前から重い症状が出ていましたが今はかなり楽になっています。
その今いちばん面倒なのがこのへんな衝動です。

妖怪のような通り物の自傷・自殺衝動。なにもかもめちゃくちゃにしたいような。どくどく、どくどく。

「普通はそんなことはしないんだ。衝動は大抵我慢出来る。しかし−−我慢出来ないときがある。ほんの、時間にすれば僅か何十分の一秒だ。その僅かな瞬間に、彼女の中を通り物が過ぎたんだ。だから彼女は、加菜子の背中を押した時、憎いとか、恨めしいとか、そんな湿っぽい人間の感情を持っていた訳ではないんだーー」
『魍魎の匣』

こういうやつです。
なにかにあてられて、「いまだいけ!やれーっ」というような。
そういう衝動。
いまとびだせ!飛び降りろ!いけ!今だ!そこだ!◯◯!◯◯!◯◯!

と、何かが言う。背中を押す、体の中をわきたてるような。

なにかが住んでいる。

うつが重くなったときに、住み着いてしまったのか、近所に住んでいるやつがたまに訪問してくるのか。空気に混ざっているものが時々かたまるのか。
何かの人格のような、かまいたちのようなもの。

お風呂に入っているときでも、何をしてても容赦なく、前触れ起こるこいつはなんなのだろう?
気を抜くとそっちに行ってしまうから、時々気が抜けない時間がくる。
だって全然憂鬱だとか、嫌だとか、死にたいとか思っていないのに、なぜか体がわーっとなってるから。びっくりするのです。
自分でもこいつのことが怖いけど、興奮もする。

危険なやつです。

どうにかなだめてお帰りいただいています。
でもちょっと一緒に遊んでしまいたい、興奮のままにわーっとメチャクチャに。

人間の形を保っているのは肩がこるねえ。



2016年12月20日火曜日

発覚!ジショウヘキ!

※自傷の話です。画像はありません。

痛い言葉が苦手な方は読まないでください。※


ノーマークだった自傷癖


さて、このたび、私に自傷があることが判明しました。
本人も医療の側も私の自傷にぜんぜん気づきませんでした。
私自身が「いや〜痛いから自傷とか無理〜あはは」みたいなノリだったこと、見える位置に痕跡がないことが原因でしょう。


「皮膚をむしるのは自傷」らしいぞ


きっかけは、Twitterで「皮膚をむしるのは自傷」というのを見て、調べたことです。

すると、自傷って、リストカットだけじゃないんですね・・・!
いろいろ種類があるようでした。
その中でも、私が特に当てはまったものがこちらです。

★皮膚を真皮に達して血だらけになってもむしる。足の皮膚をむしって痛いので、やや「ケンケンパ」「びっこをひいて」であるくほどである。(がさがさしていない健康な皮膚でもやる。「がさがさだから、ついヒートアップ」とは異なる。そういう場合もあるが・・・)
▲かさぶたを執拗にはがす
▲眉毛を抜く
・頭をガリガリする
◯爪を無理にはがす

です。
もともと極度の痒がり・敏感肌・蚊やその他花粉・ハウスダストのアレルギー傾向・じんましんがあったこともあって、隠れていたのも、今まで気づかなかった原因でしょう。
頭ゴンゴンはないことはないですが、軽くマッサージする感じなので自傷ではないと判定します。

★は、わりとおとなになってから。その下は、小さい頃からけっこうありました(特に▲
は昔からかなり多い、◯はわりと大きくなってから、・は昔から時々)。
けれども、やはりストレスがあるとどれもひどくなるように、思い返せます。
今回も、ちょっとひどくなったタイミングで診察があり、たまたま写真を見せて「これは結構ひどいし、まあそりゃ、ない方が良いので治療しましょう」ということになりました。


なぜ自傷はいけないか


まず、なぜ自傷はいけないか。という話を心理の先生に聞きました。
自傷は、ちょっとの痛みと、自傷後の「すっきり感」で繰り返し、ときにひどくなります。そういうループがあるとのこと。
そして、ひどくなるにつれ、「うっかり死んでしまう」場合があります。
だからダメなんです。

つらくて助けてほしいのに、うっかり死んじゃうから、自傷は止めよう。

ということだそう。



少しの痛みをわざと与える


さて対策です。
心理の先生は、私にあるものを渡しました。

輪ゴム

です。手首にまいて、ぱちぱち、手遊び感覚で。
ちょっと痛くて、怪我しない。気が紛れる。
のがいいそうです。

とくに、「手首」という位置であるため、リストカットに効くようです。
ただし、皮膚をむしる症状だからといって、皮膚全体に輪ゴムを巻くわけにもいかないので、これでとりあえず、様子を見ます。

あとは、「しっぺ」も、効果的とのことです。自分で痛みを調整できるから、やりすぎて死なないのです。



以前紹介した回せる指輪なども、自傷対策になるかも、などと言われていますが、「痛み」があるということで、自傷をやめる第1段階としては、輪ゴムなどが良いかもしれません。痛み刺激や圧迫刺激が欲しくて、常同行動をする場合にも、こういうのもいいのかもしれません。

ただし、徐々に、痛みのない安心グッズや呼吸法などに、輪ゴムを置き換えてゆきます。

写真は、輪ゴムだけだとなんだかなあ、と思い、ビーズのゴムブレスを追加したところです。ものを身につけるのは苦手ですが、これくらいなら今のところ大丈夫。続くかはわかりませんが、それを見越して安いものです。

最初の一歩がおもったより簡単でよかったです。
ただし、道は結構長くて、しんどいかもしれません。今までの歴史が長いこと、また、先生にも、「治療の説明は簡単だけど、やると大変なんだな〜」と予告されているので、おそらく長くなるでしょう。

また経過があれば書こうと思います。





2016年12月19日月曜日

基本的生活習慣・着替えとかばん

お洗濯と着替えと自分の部屋と。


※一人暮らしサイズの家の場合は少し勝手が違いますが、応用が効くと思います。

さて今回は、前回洗顔の話記事を書いた続き?のような、「着替え」に関する話しです。

私は毎朝の着替えもあまり得意ではありません(でした)。
毎朝たくさんの中から選んで、失敗しないように、ヘンじゃないように。
部屋と鏡を行ったり来たり、よくわかんないし、寒いし暑いし。

そんなことが、最近かなり減ったので、その様子を紹介します。


平日の鞄と服を「制服」に


まず最初に行ったのがこれです。
今までもそれに近いことはしていたのですが、正式に「意識の舞台にのせて、システム化」しました。
私には無意識のお決まりや不安があって、大体服装や鞄、鞄の中身が決まったものになっていました。
そこで、それをよりきちんとシステムとして回るようにしました。

目移りするくせに結局着ない・着たら着たで1日の途中で(感覚とか好みとか色々で)いやになって帰りたくなっちゃうような服や、シーズン一度も着なかった服を全部捨てました。
これはかなり極端ですが、自分の部屋にある、小さな四段のたんす+コートハンガーで、一年分の服が入るようにしました。

かばんは、「平日のルーチン」用に一種類・ガバッと入るトートを。
服は、「外さない安定のお気に入り」無印のボーダーワンピを。

これを基本にし、平日・仕事のある日はこれ(崩すのもOK)と決めました。
休日は、自由です。ファッションを楽しみたいからです。


平日の服と鞄を、リビングに置く

さて、それができたら、その1〜2着の「平日の服」で、ほとんど「着ては洗う」の繰り返し。鞄は「使ってはしまう」になります。
そこで、平日の間は、「洗ったいつもの服」を、リビングのカゴに入れっぱなしにします。


かごからはみ出ているので、タンスにしまわないと注意されるタイミングの写真ですが・・・

一番上:わたしの洗い済み服
二番目:母の洗い済み服
3番目:父の洗い済み服

です。母は、洗濯の後、ここに服を入れて、あとは触りません。他の人のタンスには、触れないのです。母も楽になり、「踏み込まれるのが嫌」な私には助かります。ルールは一つ。「溢れたら部屋にしまえよ」です。わかりやすい(できていないのは私だけか!仕舞います!)!

平日に着る(というか、次の日に着る)服は、ここに置きっぱなし、そうでないものは、自分の部屋に仕舞います。
こうすると、部屋とリビングを往復して着替えたり仕事の支度をしたりしなくて済みます。面倒なことはいずれやらなくなるので、ラクな方がいい。


カバンも同様に、決まった場所に。カバン用のかごはけっこう大きいですが、やはりここから溢れたら注意されます。わかりやすい。

もともとは、犬にいたずらされないように導入した制度との合わせ技ですが、とてもやりやすいです。

散らかし特性のもっと強い人は、半透明・透明のボックスと、テプラを使って、中身を見えるように収納すると良いかと思います。

動線が大切


ものの住所を決めるときは、往復したり狭い所に行ったりしなくていい動線と、家族との兼ね合いが大切。
私の場合、上図のような動線です。赤が着替えルート、青がお出かけ前ルート。黄色は動線外です。
動線が先にあって、後から住所が決まります
着替えを随分動き回りながら、遊びながらしているのがバレバレ。

また、住所のカゴは、かなり大きめにして、必要以上に分類しない(カバンの中身を出す習慣がないのに、気を張って中身の住所まで決めたり)。細かすぎると、かえって動きにくいので、自由度は高めがいいです。

また、途中でルール変更はアリであることを、特に自閉さんはこころにいつも留おきましょう。無理なら、誰かに助けてもらいましょう。家族と暮らしているなら、家族の都合も考慮しなくてはいけません。

2016年12月18日日曜日

基本的生活習慣・洗面

なんとかしよう、歯磨き下手


わたしは歯磨きが下手です。
毎日朝晩磨く習慣は付いているし、磨かないと口が気持ち悪い感覚はあるので、そこは問題ないのですが、磨き方がとても下手。
これは以前にも「不器用さ」の記事で書いたことがありますが、「力を入れすぎる」「時間が短く、ていねいに磨けない」「全体をバランス良く磨くことができていない」傾向があります。

そこで、取り入れたのが写真の歯磨きグッズです。



歯磨きを「見える化」


ふと思いついたことですが、私は「理由がはっきりしないこと」「見えにくいのにていねいに行う」というのが苦手です。他の魅力的な行動にすぐに目移りします。

そこで、子ども用ですが「歯の汚れを着色してくれる液体ハミガキ(写真左)」を取り入れました。
小学校の歯科指導でよく使うあの着色剤です。

一つ、歯磨きにプロセスが加わるのでどうかな、と思いましたが、一週間ほど使ってみても、自分が着色歯磨きをサボる気配がないので、とりあえず使えそうです。
また、着色されている歯が、白く戻ったら、その部分は完了、というのが見やすく、どの歯が磨き終えた歯なのかも、覚えていなくてもよいので、非常にやりやすいです。
力を入れなくても、汚れが落ちるさまも見えているので、むやみに力が入らず、歯の隙間の色などにも注目して、歯全体を磨けます。

また、これはおまけで買ったものですが、「長く磨くのが苦手な人に」と解説のあった「Concool ジェルコートF」というフッ素のジェルも、なかなか使い心地が良いです。
安いものではなく、また歯科衛生士の妹曰く「それはどっちでもいい、ちゃんと磨くほうが大事」とのことなので、気が向いたらまた買おうと思います。


毎日やるべきことは、ケチらない


歯磨きに関連して、洗面全般ですが、私は以下の写真のものを使っています。


左から、洗顔・化粧水・オイル・メイク落とし

特別いいものを使っているわけではありませんが、自分が毎日これらのことをできるように、納得したもの・使い勝手の良いものを使っています。

①洗顔:泡で出て、匂いが強すぎないハーブで、好み。洗顔に関しては、サボることはほぼないため、時々変えて楽しむこともします。
②化粧水:ボトルの先をスプレー式に変えて、シュシュッとするだけで合格に。ただし、れはもともとそういうボトルを買っています。詰替えは、続かないので気が向いたときだけコットンが爪にちょっと入る感触や音が嫌だったようで、以前惰性で使っていたものはいつもサボっては捨てていました。
③オイル:これは、乳液のかわりです。全身・髪にも使えるので、気分で塗りたくります。顔は毎日。乳液よりも、私の感覚が許すものだった(また、マッサージ用オイルの記憶によって、オイル=気持ちいい、という刷り込みがあった)ので、オイルの流行は非常に嬉しいです。
④メイク落とし:これは、課題です。うまく使えていないので、今後工夫します。今のものは、柄が気に入っているので、つかっています。

特に、②③は、「効果が見えにくい」もの、かつ「子供の頃からの習慣ではない(変化したことである)」ために、毎日行うのが難しいものです。恥ずかしながら・・・
そのため、感覚的にOKなものを探って、とりあえず今はこの形になっています。


また、「容器の形や色・中身」についても、あまりすぐに形状がアップデートされたり、改良されてあからさまに変わらずに安心して使えるものを選んでいます。(なので、私はあまり100円ショップを使いません。回転が早すぎるので)

「工夫すればちょっとのことなんだから、面倒でも洗顔くらいできるだろう」と、自分の使いにくいものを使うと、結果的に、買ったものをほとんど使わずに捨て、健康も損なうことになります。
限度はありますが、ある程度ケチらず、けれども、ごてごてとたくさんのことを取り入れすぎず※、毎日心地よく生活できるように工夫しています。これは誰でもそうだと思いますが、発達障害のある人なら、なおさらでしょう。「ちょっとしたこと」が、ネックになって、基本的生活習慣が身につかないなら、それは「ちょっとしたこと」ではなく「けっこう大きい障害」なので、お金で解決しちゃいましょう!(60円払ってボトルの頭変える、とか)


※「ケチらない」というと、なんとなく自分のなかで「(セレブな人が登場)いいものをたくさん、化粧水・乳液・オイル・美容液・ナイトパック・・・(うふふ、と笑う)」というイメージになってしまうので、こう書いています。

2016年12月4日日曜日

歯車も悪くないぞ


おりしもTVで発達障害特集が組まれ、私のタイムラインでは話題になったところです。
発達障害者は「めちゃくちゃ個性的すぎていろいろ適応できない」なんていう言い方もされます。
そこで「歯車も悪くない」っていう記事を書くのもなあという気はしますが、最近思うことです。

とはいっても、私もわりと「ヘンな人」が好きです。おもしろいからです。刺激的です。同じような人ばかりで予想可能なパターンは、安心だけれど面白くないし、だいたいそういうパターンはうまく読めないくらい複雑で裏があります。
ただ、別に見た目がヘンとか明らかにヘン、であることが好きなわけではありません。よくよく話をしてみると、意外にみんな面白かったりするものです。みんなヘンだね。私の周りはあんまりふつうの人はいないのかもしれません。

でもそれがふつうでもあるわけで、私は最近、ふつうってのも、ヘンってのも、あんまり区別しないで、どちらも面白がっています。そういう面白がり方はヘンかもしれないけれど。なんでも面白がれる能力は、私の才能の一つで、自分のできることのなかで、いちばん好きな能力かもしれません。


「事務の人」のちょっとした仕事


わたしは現在、障害者雇用で事務の仕事をしています。内勤(会社の中での勤務)で、窓口業務はありません。ちょっとした来客対応はあります。外に出て働く人や、その他いろいろな人のお仕事を手伝ったり、とりまとめたり、データを整理したりします。頼まれれば、かんたんな翻訳や文字起こしもします(社内でほんのすこし出るこういう仕事って、外注しないで社内でちょっとそういうことが得意な人に回っているのかもしれません。それ専門の仕事にはできなくても、得意なことがあると、それが多めに回ってきたり、代わりに苦手なことをやってもらえたりするもので、何でも勉強しておくと意外に役に立つものです)。

そして、その合間に、備品をきれいにしたり補充したり、きれいに並べたり、といった、「やってもやらなくてもそんなに怒られはしないし、やりすぎてもうるさいもんだけど、いつもどこかで誰かがやってる小さい仕事」も、します。
おそらく世の中の事務員さんはちょこちょことこういうことをやっているんじゃないかなあ、と思います。

やらなくてもそれなりに仕事は回るのですが、ふと何かをしようとしたときに、小骨のような引っ掛かりが起こる。備品が無かったり、汚かったり。そういう小骨をさりげなく取って、スムーズに人間たちが動き回れるようにする
そんな感じです。

少しずつメインの仕事が空いているときに、様子を見て、他の事務員さんがやっていたことや、自分が仕事をしていて引っかかった部分を、うまく回るように調整している。
そんな感じです。

恒常性を保つ微生物みたいな何か


こういう作業をしていると、なんとなくあたまがぼーっとして、「胡蝶の夢」のような状態になることがあります。
私はよくそういう状態になる(解離に近いかも)のですが、気持ち悪くもあり、心地よくもあります。

胡蝶の夢状態になると、一つ上の次元にもう一人自分が発生して、世界全体から見下ろしているような感覚になります。

そうすると、人間とか、人間のかたまり(組織、学校、会社、国・・・)が、ひとつのおおきなアメーバのようないきものだと感じます。
いきものは、体温や内臓の状態を、ゆらぎながらもある程度の幅におさまるように、一定に保つために、内部でさまざまなものが働いています。この「ゆらぎはあれどある一定の幅におさまる」のが「恒常性」というやつです。

会社も、そうやって、(もちろん少しづつ進歩したり退化したりとか、あるのですが)、恒常性がある程度保たれていて、それに大きく貢献しているのが、事務員さん、というものたちだなあ、と感じて、ここちよく、なんとなくすてきな気持ちになります。

そうやってたくさんの、会社の中のものものを生かして、会社も生かして、うまく回っていくのだなあ、少しはみ出すことがあったり、死んだり子どもがうまれたりもするけど、そうやって呼吸しているんだなあ。恒常性、ここちよい。

そんなことを言語にするでもなく感じて、ぼーっとここちよくなります。そこに組み込まれているのは、悪くない感覚です(嫌だという人も当然いるでしょう)。

歯車はそんなに悪いもんでもない


そういうことを感じて、なんとなく、「ああ、組織のなかではたらく」っていうのは、そんなにしんどいもんでもなく、うまくバランスをとって生きるのは、つまんなくもなく、悪くないな、なんなら、結構興味深いじゃないか、と、今思っています。

相性もあるし、嫌なことや合わないことを無理する必要もない(実際のところ、私だって障害者雇用で配慮を受けながら働いているわけなので、自然に?働けている、なじめている、というわけではない)けれど、無理せずそれなりに、自分は自分としてありつづけながら、社会で生きていくことが、もしかしたら、できちゃうかもな。悪くないじゃないか。

うみのなかでぼんやりたゆたいながら、それでいて実は海の掃除屋さんをしているいきものみたいだなあ。面白いなあ。
世界のありようをまた一つ得た気がします。