2016年5月8日日曜日

ごはんのことを考えない

先日、あるイベントに参加しました。

イベント自体は良かったのですが、運営およびその人間関係の矛盾が多く(イベントだし、人がたくさん関わるいじょう、仕方がない)、私には辛かったようで、帰宅して、「理不尽」のコップがいっぱいになっているのに気が付きました。

普通は、きっと気にならないんだ・・・きっと受け流せることなんだ。
こんなにも気になってしまう。許せない。とても幼い自分。
いい面でもありますが、やっぱり社会で「ふつうに」生きるにはかなり枷になるようです。何回実感しても、何度もこうなってしまう。どうしても、事実と事実、発言と発言、思考と思考の齟齬に折り合いがつけられません。感覚の特異性は、ある程度防衛可能ですが、これはどうにもなりません。

すこし、昔からお世話になっている芸術の先生とお話して、

・誰も悪くないこと
・ちゃんと我慢して帰宅したのは、よかったこと
・いけないことを認識できるのは、いいこと
・その敏感さが、あなたの色覚やアートへの感覚に反映されているのだということ
・ごはんのこと(お金のこと)を考えないで、まずはやりたいことで全力で生きることを考えてみてはどうか。

というお話をしてもらいました。

わたしは、小さいころから「自分のためにお金をつかうこと」を「借金」だと感じています。
だから、「自分でそれを取り戻す必要がある」し、「お金を使わせてしまっている、主に両親」への「負い目」がすごいです。
また、「自分は貧乏だから、早くお金を稼いで自分で食べていかないといけない」「しごとは苦しいもんだ、だからお金がもらえる」とおもっている傾向も強いです。

これは、少しは持っていてもよい認知かも知れませんが、「無難に」「ふつうに」生きるのが難しい私には、かなり大きな障害です。
そうでなくとも、少しは「安心」して「冒険」する指向性を持ったほうが、きっとらくになるでしょう。
私は、「安心」がないのです。
いつも世界に対して不安でいっぱいで、一寸先は闇。

わかっていないことの恐怖が大きすぎるのです。

けれど、まずは、ごはんのことをかんがえない。

やりたいことを、かんがえる。

心地いい方へ、風に乗る。

ことを、少し意識したいなあと思います。


1 件のコメント:

  1. 私も、お金や収入のことがいつも気がかりです。
    やりたいこと、得意なことで自分に過剰に付加をかけずに生きていければと思っていますが、中々…

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