2016年5月30日月曜日

「助けを求められる」仕組み

Twitterでちらりと見かけた「助けをもとめる」ことに関する考え方に関して

・助けを求めることに気負いが有るASDの人。なぜ?
・助けてもらうということは、それを返さないといけない
・そんなのは無理。いつかまわりまわって行けばいいな、という風でいいのに。

といったつぶやきが流れてきました。
それに対して

・そう言えるのが「自己肯定感」だよな。
・「まわりまわって返せる」し、そういう経験を積んでいるから、助けを求めることに気負いがあるんだ。返せないんだ。

というような意見。

私は、どちらも理解し、しかし後者寄りの認知をもっています。
そうして考えて、「助け・助けられる」しくみは、「融資」に似ている。と思いました。

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融資のしくみをかんたんに図解しました(シロウトの図で、完璧に正しくないです。注意)。
融資とは、お金をかりることです。
「与信」とも言います。「与信」とは、「信用を与える」ということ。「あなたを信用して、お金を貸しますよ」ってことです。

信用して、お金を貸すためには、「返してくれる保証」がないといけません。
それが、「担保」や「協会保証」です。万一のときにこれらを利用して精算できるように、しているのです。同時に、「きちんと返せる実力がありますよ」という証明でもあります。
それから「今までにお金を返せなかった経験がないか」「犯罪を犯したり、反社会的行為に関わっていないか」も確認します。大きなリスクになりますので、こういう場合、お金を貸したり、また、そもそも「貯金」としての利用もできないでしょう(みなさん、通帳をつくるとき、「反社会的うんぬん」みたいな念書にサインしているはずです。まあそんなの当然ないのでサクッとサインできちゃう、という人は、きっと覚えていないでしょう。アタリマエのことって意識しにくいです)。

これが、「貸すお金の量」と釣り合ったとき、お金を貸してもらえます。

(※)これ、「大変・・・」に見えると思いますが、別に銀行は、お金を貸したくないわけではないし、借金を悪いこととも思っていません。おそらく、個人でも会社でも「ローンを組んで大きなものを買う」とか「融資を受けて事業拡張する」ということはわりと一般的で、むしろ借金のない会社(特に会社は)・個人というのは少ないと思います。
そうやってお金を貸したり借りたりして回して増やして、「互いに信用(とお金)を増やしましょう」というふうな考え方が、「与信」です。(※)

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さてここからが本題。
これと、「助け・助けられる」ことは、相似に見立てることができるのでは、と思うのです。


おなじ図ですが、文字を変えてあります。
「助ける・助けられる」関係というのは、必ずしも等価交換ではありませんし、「助けられた相手を次は助ける」というように、必ずおなじ人に返すものではありません(これは融資とは違いますね)。

けれど、「助けるとき・助けられるとき」ともに、「担保を審査」しているのではないかと思います。

・これまでに、助けたり助けられたりをうまくやってこれたか?
・友人は、万一のとき仲間になってくれそうか?(フォローしてくれそう?)
・役立つ得意分野があるか?

など、特に「これまでの助け・助けられ経験」がうまく行っているかどうか、というのが主な担保として働いていると思います。
だから「やらかしてばっかりのやつは、助けを求めにくい」。自分が借金を返せるアテや、保証人のアテ・担保となる資産のアテ・今後の収入の見通しがないのに、借金をしようと思いません。同じように、「今後自分が他人の役に立つ見通し」がもてないと、「助けを求める」のはためらいます。「たすけられっぱなし」ではお互いに苦しいのです。

「いいよいいよ」「いつも助けてもらって、ごめんね〜」なんて言っても、そこはやはり審査して助けあっているから、多少、いっとき自分の「助けられ量」が増えても、軽く謝って流せるのです。「助け量」ばかり増えても、「返ってくる見込み」があれば、さほどムカついたり・不当に思ったりしないでしょう。
そして、この「担保」は「自己肯定感」の一部でもあるのではないかと思います。

それから、「いままでのやらかした経験」。
今までに大きな失敗を何回もしていると、もうその時点でかなりマイナスになります。これを取り返すのはかなり大変です。助ける方も「あいつ、またヤバイことになったらめんどくさいし、迷惑」って、おもってしまって、お互い助ける関係になりにくい。
そして、こういう経験が少ない人(定型発達の人など)は、「こんなこと考える必要がない」ので、ホイホイサインできて、ホイホイ借りれちゃう、助けを求めることが簡単なのです。

学校の保護者どうしなどになると「子どもの担保と自分の担保を合算」して「いつも息子がお世話になってるもの、いいのよ〜」なんてできたりしますね。
この仕組はお金をかりるときにも「家族の収入を合算」のように使えます。しかし、どちらの場合も「逆もありえます」。

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と、こんな感じで、「助け合う関係」は説明することができないかな?と考えました。
ところが、定型発達の人や、今まで助け・助けられる関係をうまく築けてきた人というのは、こうは思いません。「本当に思わない」から、まったく理解できないのだろうと思います。仕方がないことなのだと思います。
それは、(※)で挟んだ段落と、相似な関係なのだと思います。

「自分の担保の存在が当たり前すぎて、自信があるために、ためらいがないし、それを当たり前に感じる→他人がためらっているのが理解できない」

のだろうと思います。
お互い助けあって、みんながどんどん幸せになる」ということが、もう体に染み付いているのですね。

もちろんそれはいいことです。
けれど、こうやって仕組みを考えるのは面白いです。
そして、こうやって考えてしまう人がいることも、知ってほしいです。

そして、そうすることで、「どうしたら互助の仕組みに乗れる人が増えるか」考える助けになると良いと思います。

融資できないけどお金に困っている人が使えるのが、福祉や公的な支援。
助けを受けたいのに一般社会では難しい人が使えるのが、福祉や公的な支援。

ここも似ていて、面白いです。
でも、福祉以外でも、「担保となる能力」を見つけて磨いたり、方法がもっともっと出てきて、一般的になるといいと思います。

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・・・ってか、「お金」というもの自体「信用の可視化」なんだから、相似な関係になるのは当たり前じゃーん、と、ここまで書いて思いました。悲しい。




2016年5月23日月曜日

体温調節が、できない!


今週はずっと体調を崩して、前半は頑張りましたが後半は寝込んでいました。

まだ少し足がふらふらしています。体力ないなあ。

それでも言葉もイメージも私の中に貯まって重くなっていくので、書かないと生きていかれません。

今回体調を崩したとき、「これは、絶対に熱がある!」と珍しく確信して体温を測ったのですが、結果は35度1分。ギリギリ35度、という、もう死にかけのような体温でした。
それでも体の様子から察するに、熱を産生して体調を戻そうと必死になっている、はずです。
それでも「熱がない」となると休むことへの罪悪感は膨らむし、暑いんだか寒いんだかわからなくて、周りは半袖のなかで、私だけふうふう言ってコートを着ていました。

昔から「私はどうも恒温動物ではないなあ、変温動物だなあ」と思っていたし、それなりに工夫もしてきたのですが、今回はちょっとつらかったです。どうやら黄砂の飛散も重なったらしく、それもあったのでしょう。気温も乱高下で、何もかもついていけていないようです。

深部は温まらないのに、表面は気温と合わせて温度が乱高下。
どうにかならないかなあと思います。
まだ夏ではないな、と思うのですが、もう体は夏に慣らしていかないといけないようです。

2016年5月22日日曜日

WAIS-Ⅲの結果

先日実施したWAIS−Ⅲの結果が出たので聞いてきました。

WAISとは?


WAIS-Ⅲとは、ウェクスラー成人知能検査の頭文字をとった名称です。アメリカではⅣまで出ていますが、日本語版の最新はⅢです(2016/05/22時点)。
WAIS知能検査は、「おなじ年齢群における受験者の成績」をIQとして算出します。
また、「群指数」といって、知的能力をいくつかに分け、その分野ごとのIQも算出されます。

児童の発達検査で用いられることのある「K式」「ビネー」等では「この年齢ではここまで到達していないといけません」という値があり、そこへの到達度で「あなたは◯◯歳相当の発達段階です」といった結果が出るのに対して、WAISでは「あなたとおなじ年齢の人達100人中、何番目の成績です」という出方をします。「偏差値」のような感じです。

また、WAISにおいて算出されるIQはあくまでその人の知的能力の一部でしかありません。
ここでの結果がそのままその人の困り感に繋がる、繋がらない、というものではなく、今後の活動の指針のひとつとして使います。
※ただし、WAIS群指数のバラツキは、発達障害の診断にかなり参考にされるようです(しかし、WAISの結果だけを見て発達障害の診断を出したり出さなかったりする医師は、要注意。)


IQのバラツキと正規分布

今回私がWAISを受けたのは、「発達障害をもつ自分」という前提があります。
前回は、二年前に受けており、群指数のバラツキがとても大きく、最大36の差がありました。

発達障害の分野において、この「群指数のバラツキが大きい」と、一般に、「生活上の困難が大きい」といわれています。

ただし、この群指数の差は、単純に「差と差を比べる」ことはできません
なぜなら、「WAISのIQは、得点ではなく、偏差値」であるためです。

そのため、群指数のバラツキを比較する際には、上図を思い浮かべるとよいでしょう。
100(平均)の部分に大きく山がある、正規分布になるように設問は設定されています。中央の山から離れるほど、そのIQは少数派になります。
したがって、おなじバラツキであっても、IQ100の山から離れているかどうか、100の山を飛び越えたバラツキあ有るかどうか、といったことで、困難の度合いや困難の種類は違ってくるのです。


私の結果は?


さて、今回の私の結果ですが、医療用の結果シートしか希望しなかったため、報告書はありません。ただし、シートを見せてもらいながら、口頭で話を聞きました。また、いつでもその結果を見せてもらうことができます。

【結果】
FIQ(総合)=130
VIQ(言語性)=130
PIQ(動作性)=123

という結果でした。群指数の最低が119、最高が130でした(差のMAX11)。だいたいIQ130の前後に分布しました。

前回と比較し、かなり認知機能の底上げがされています。すべてにおいてバラツキも小さくなており、正常域です。また、二年前のことなので、学習効果も考えなくてよさそうです。

前回もっとも低かった「配列」という項目が7点から11点に大幅に上がっています。理由はわからないそうです。確かに、前よりできたと感じました。うつの回復度合い、検査者との信頼関係なども関係しているかもしれません。前回よりも「機械的に答えるだけ」でなく、「わからなさ・嫌だ」という気持ちを持ちながらやっていたのが、かえって良かったのかもしれません。

しかしやはり動作性IQの方が言語性IQより低く出ました。動作性IQは、「見たもの・きいいたものから理解する」能力・言語性IQは「言葉から理解する」能力という見方ができるそうで、おそらく私は「見て理解・聞いて理解」よりも「言葉から理解」の方が(適切な環境であれば)得意なのだろうということでした。断片的な情報をまとめ上げることに苦手さがみられるようです。

絵や音は、「自分で補う部分」が言葉より多いため、その文脈を補いきれないのだろうと推測しています。「見たものは再現できても、その意味は理解できない」のではないか、と思います。

言語性が優位であるため「頭の中で言葉や概念を操作し、推論する」ことがとても得意であり、それを生かせる場所で能力を発揮してはどうか、ということでした。
(確かに、このまわりくどく正確すぎる、うっとおしい文章しか書けない性質というのは、まさにこれなのです)

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WAISの結果では上記のようでしたが、私の中での能力のバラツキは、WAISに出ない部分(精神年齢とか・・・)で存在しており、また、IQが平均から外れているために、社会での難しさも存在する、と実感しています。

上記を踏まえて、私に向いていることなどを細かくお話してもらい、自分でも考えながら動いています。




2016年5月8日日曜日

ごはんのことを考えない

先日、あるイベントに参加しました。

イベント自体は良かったのですが、運営およびその人間関係の矛盾が多く(イベントだし、人がたくさん関わるいじょう、仕方がない)、私には辛かったようで、帰宅して、「理不尽」のコップがいっぱいになっているのに気が付きました。

普通は、きっと気にならないんだ・・・きっと受け流せることなんだ。
こんなにも気になってしまう。許せない。とても幼い自分。
いい面でもありますが、やっぱり社会で「ふつうに」生きるにはかなり枷になるようです。何回実感しても、何度もこうなってしまう。どうしても、事実と事実、発言と発言、思考と思考の齟齬に折り合いがつけられません。感覚の特異性は、ある程度防衛可能ですが、これはどうにもなりません。

すこし、昔からお世話になっている芸術の先生とお話して、

・誰も悪くないこと
・ちゃんと我慢して帰宅したのは、よかったこと
・いけないことを認識できるのは、いいこと
・その敏感さが、あなたの色覚やアートへの感覚に反映されているのだということ
・ごはんのこと(お金のこと)を考えないで、まずはやりたいことで全力で生きることを考えてみてはどうか。

というお話をしてもらいました。

わたしは、小さいころから「自分のためにお金をつかうこと」を「借金」だと感じています。
だから、「自分でそれを取り戻す必要がある」し、「お金を使わせてしまっている、主に両親」への「負い目」がすごいです。
また、「自分は貧乏だから、早くお金を稼いで自分で食べていかないといけない」「しごとは苦しいもんだ、だからお金がもらえる」とおもっている傾向も強いです。

これは、少しは持っていてもよい認知かも知れませんが、「無難に」「ふつうに」生きるのが難しい私には、かなり大きな障害です。
そうでなくとも、少しは「安心」して「冒険」する指向性を持ったほうが、きっとらくになるでしょう。
私は、「安心」がないのです。
いつも世界に対して不安でいっぱいで、一寸先は闇。

わかっていないことの恐怖が大きすぎるのです。

けれど、まずは、ごはんのことをかんがえない。

やりたいことを、かんがえる。

心地いい方へ、風に乗る。

ことを、少し意識したいなあと思います。


2016年5月4日水曜日

色付きめがねをつくりました



あまりに頭痛がひどく、曇りの日がとてもまぶしいので、ついに色付きのめがねをつくりました。
私は視覚過敏というほどではないのですが、最近は会社の電灯や、空に雲がいっぱいの日は目に光が刺さって神経がビリビリし、頭痛や吐き気につながっていました。

曇りの日の空は、「シーリングライト」のよう。雲が光を乱反射して、光の方向が定まらず、とても上を見上げられません。下を見て歩きます。


そういうわけで、衝動的に飛び込んだ眼鏡屋さんで、めがねを作ってもらいました。
私が行ったのは、JINSです。ブルーライトカットめがねが有名ですね(私はこれにそれほど効果を感じなかったのですが)。
そこで、フェアオークル(ブラウン系)の25%カット、グラデーションなしのレンズを、自分で選んだフレームに入れてもらいました。おそらく、ブラウン、グレー系が、外見が自然です。試してみて、一番自分に見え方や見た目の合うものを選ぶと良いと思います。

フレームが選べたのは良かったです。あまりにフレームが小さいと、それが気になって気持ち悪いです。大きすぎるのは似合いません。

また、店員さんも眩しがりの人だったのために、話が早く「眩しくて〜」とだけで通じ、ラクでした。眼鏡屋さんはこういう話が通じる人が多いかもしれません。発達障害以外の理由でも、過剰に眩しく感じる人はたくさんいるようです。

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注文して一週間ほどかかり、めがねが出来上がったので、1日かけた感想です。

【感想】
文字が浮き上がって、読みやすい。私には度が入っているかのように見やすく感じました。
フレームで視界が限定されて、かつ見え方がクリアになるので気が散りにくい(情報制限されてかつ見やすい)。
まぶしさ軽減。

頭痛が1日全くありませんでした。これは、GW中ということもあると思いますが、もしかしたら今までの頭痛は、自覚していない視覚の過敏から来ていたのかもしれません。

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度なしで、フレームを選ばない場合には、5,000円ほどから作れると思いますので、頭痛に悩む人、眩しがりの人は、作ってみても良いかもしれません。

私は、度なし(度はコンタクトレンズで入れています)でフレームを選んだので、13,000円ほどかかりました。納得しないものは使えない性分なので、高くなっても全てに納得して購入できて良かったです。眼鏡としては高くはないですし。

職場につけていく勇気が出たら、つけていこうと思います(最近、異動のおかげか、いろいろ詮索したい、他人に興味津々の人がちょっと増えたんだよなあ)。




2016年5月3日火曜日

リアルTwitter家族



上が、たいていの休日の朝の我が家の状態です。
また、休日の朝にかぎらず、考え事や発言に関して、我が家は常にこういう状態。

「投げたら、投げっぱなし」
なんです。

全員、考えたりしゃべったりしているんですが、「伝えようという意志も薄けりゃ、聞く気なんて全く無い」。

伝える気のないことは、それで良いし、非常にラクなのですが、
「全員でやること」となると、これがまあ大変です。

うまく行くのは、ごくまれに、

「全員が」「たまたまその計画をきいており」「たまたま興味を持った」

ときのみです。

そうでないときは、おのおの「自分が思っている・言ったことが通った」と思っているので(なぜか・・・)、「いざやろう」と行動を起こすと、「あれ?!?!」ってなります。全員バラバラのことを始めるので、全員びっくりしています。
しかも、それを訂正しようとしても、やっぱり話を聞いていないし、一部だけ聞いていたりもするので、「違うよ・・・(続きがある)」「えっ、じゃあいいわ。やめるわ(ぶちっと行動停止)」とか、「いや◯◯、でもあなたが×なら」「え?◯◯?そんなの無理無理!!!!無理無理!!」なんていう会話になって、しっちゃかめっちゃかになります。

それでもそれなりに生きているのはスゴイのかもしれないですけど・・・


「もりの家族って、会話してるけど、コミュニケーションは全くないね・・・」と、以前言われたことがあります。その通りです。
普段は心地よいですが、必要な場合に必要な伝達や協力をしようとすると、ものすごくストレスです。工夫が必要です。目の前まで行って、互いの準備を待って話したり、LINEや紙に示したり。
ただ、家庭内のことなので「全員気が散りやすくて話ぜんぜんきいてないよねwww」「またかよ〜w」で済むことが多いですが、互いに互いをうんざりだと思っているふしもあって、やっぱりしんどいです。

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常々そう思っていたのですが、これが続く・ときにはラクなのは、
「これがTwitterの形態に似ているからだ」
と気が付きました。

話が通じるのは、「たまたま皆がおなじ時間帯にTwitterを開き、かつ、ファボしたりリツイートした(興味持った)とき」だけ(しかも、それでも、伝わっていないことも当然ある)だし、「短い言葉をぱっと見てるだけ」のことも充分ありうる。絶対に伝えたい事は、DMやリプライする必要がり、それでも伝わる保証はない。
でも、ある程度発言は自由にできて、たまたま気のあったときに反応がきて、思わぬ面白いこともある。

そっくりです。

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今回はそういう発見を書き記した記事です。


2016年5月2日月曜日

”未診断”・発達障害”疑い”、そして、”発達障害でなかった”人へ。

今回の記事は表題の方にむけたものを書いてみようと思います。
けれど、当事者の方にも読んで欲しいです。


発達障害の診断は、半年以上かかると予想して


「もしかしたら、自分は発達障害があるんじゃないか」と思っても、今は、まずクリニックの予約をとることさえ大変です。そんなふうじゃないと良いのですが。

そして、クリニックの予約(予約制ではないところもあります)ができたら、さて、診察です。

「はい、あなたは発達障害ですね。じゃあ、これを飲んだら楽になりますからね〜」
「はい、診断書書きますね〜」
「はい、年金出ます」「手帳とれますよ〜」

と、こんなふうにはいきません。
こんなに簡単に結論(ではないのですが、便宜的に・・・)を出してしまうクリニックは、もしあるなら危ない気がします。

発達障害の診断は、本人への問診、生育歴のチェック(本人の幼少のころのことを話すことのできる人が1人以上いると、望ましいが、なくてもよい)によって出します。

しかし、特に「これまでどうにかこうにか生きてきた」成人の場合、その「頑張ってきたこと」のために、「一見、そうは見えない」ことが非常に多いです。多動・会話の噛み合わなさなどの「ぱっと見てわかる言動」を「我慢」「学習」でおぎなうことができてしまい、しかし本人はとても苦しんでいる、ということです。
また、「会話の噛み合わなさ」といったコミュニケーションの問題に関しては、よほど重度でない限り「1対1」の場面、また「診察室=何をするか決まっていて、整理された空間」においてはすぐにはわかりにくいように思います。

また、二次障害がある場合には、それとの切り分けが難しい場合もあります。

・うつ病
・統合失調症
・愛着障害
・いわゆるAC
・パーソナリティ障害

などでも、発達障害に、一見似ている症状をみせる場合があるようです。
「二次障害が完治したら、発達障害の診断」というのが理想のようですが、そうは行かないので、長い期間を掛けて、診察して、診断が出ます。

すぐに答えが出ないのは、発達特性(とおもわれる性質)をもつ身には、とくにつらいと思います。ちょっと、がんばる必要があります。

WAISは診断に必要ない


これを、時々間違えている場合があります。
成人の発達検査で、WAISはよくつかわれます。
「発達クラスタ」にいると、とてもよく出る名称です。

発達障害の診断において、この検査で出る能力のバラツキは、非常に参考になるようです。

しかし、これは、診断に必ずしも必要な検査ではありません。
また、WAISの結果だけで「発達障害か、そうでないか」は、確定されません

ですから、
「WAISの結果的に、あなたは違うよね〜」
って言われたら、おかしいです。
別の病院を検討してもいいかもしれません。

ただし、何気なく「WAISからは、違うように見える(けれど、実際は発達障害がある/確かに、発達障害はない))」と、カッコの中を省略して言うお医者さんもいるかもしれません。よく確認してみましょう(ただ、こんな省略は、発達特性のある人にはとくにしてはいけないと思います。そうでなくとも、診療で、こういう言い回しは、よくないと思います)。
また、WAISを実施したり、結果を教えてくれるのは、心理士さんの場合がありますが、心理士には診断はできません。ですから、心理士がなんの準備(私がいうことは診断ではないよ、という表示や、医者と意見が一致しているかどうかの表示)もなく「あなたは発達障害ですね/違いますね」といった発言をした場合、それはおかしいです。



発達障害と診断された後は?


いよいよ、診断です。
仮に、ここで発達障害と診断されたとしましょう。

次にどうするか?

それは、自分で考えなければなりません。
それが難しければ、「どうしたらいいかわからなくて困っている」ことを、医療者や支援者に伝えるなどして、どうにかやっていく必要があります。

これについては色々ありますが、とにかく「その後もどうにかやっていかねばなりません」。

発達障害じゃなかったら?


大丈夫。あなたは、甘えているから、診断を望んだわけではありません。
気になったら、確かめたいのはあたりまえですね。
予想と違ったら、びっくりしますよね。

発達障害ではないよ、となった後、「でも、つらいよ」と思っていたら、そのまま診察なりカウンセリングなりしてもらって良いと思います。だって、あなたは困っている。

どんな理由だろうと、困っていたら、助けてもらえばいいのです。
あなたは大丈夫。

発達障害ではないとしても、発達障害の人が用いる道具や方法であなたが楽になるのなら、もちろん使って良いのです。

もし、発達障害の診断を求めた病院が、「発達障害専門」「児童精神科」のようなところなら、別のクリニックを紹介してもらうように頼んでもよいでしょう。うまく頼めなかったら、後で連絡してもいいし、また初診で別の病院に行ってもいいでしょう。診断が出なくとも、自覚が有るのなら多少、発達障害の知識もある病院で、診てもらうと、いいかもしれないですね。


セカンドオピニオンもありです


一度、診断が出なかったからといって、納得できない場合は、セカンドオピニオンももちろん大ありです。
自分の体の事ですし、医師との相性もあるので、納得のいく診療を受けましょう。

「一度目の病院で、かぜだと言われたけど、別の病院では、肺炎だった!」なんてこともあります。

それとかわりません。上の例は、甘えているでしょうか?甘えていません。

診断がでなくても、支援を受けられる場合がある


ピアサポートや当事者会では「診断の有無を問わない」場合もあります。
公的な機関については、わからないのですが、問い合わせてみても良いかもしれません。

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以上、グレーな人や、疑い、発達障害じゃなかった、という人は、「どうしたらいいかわからない」のかもしれないな、と、最近思ったので、書きました。



最後に・発達障害の診察ができる病院


各都道府県の発達障害支援センターに問い合わせると、教えてくれます。

また、イーライリリーの「ADHDが診断できる病院検索」も良いと思います。ADHDが診察出来る場合、発達障害の知識がそこそこあるということなので、ASDを疑っている場合も、問い合わせてみると、OKの可能性があると思います。このウェブサイトは、ちいさなクリニックも検索に出るので、すぐに診察を受けられることもあるのが、いいところです。

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みんなが楽になればいいんだよ!




2016年5月1日日曜日

進路相談。

ここ最近はあまり調子がよくありませんでした。

新年度の変化、乱高下な気象、ざわざわ、チカチカ。
ずっと頭が痛くて、気持ちが悪くて、いつもはまぶしさってあまり感じないのに、まぶしくて上を見あげると気持ちが悪くなって頭が痛く、体がつらかった。

GWに入って、少し良くなりました。
やっぱり外に出ていると、私はものすごくつかれてしまうみたいです。

このままでは、いつかだめになる、続かない、と、自分でも危機感があります。
心理士の先生も、主治医も、PSWさんも、ちょっとしんぱいしており、再度受ける発達検査の結果と照らしあわせて、また今後の方針を決めていきます。

それまでに数度あるカウンセリングも、ちょっと進路相談ぎみです。
認知行動療法もやりつつ、話もしつつ、今後どうしていくか、考えています。

詳細はリアルすぎてお話できませんが、今のところ、濃厚なのは、専門職/研究職、そのための進学です。アート関係も、少し話は出ました。

私の「しごとはつらいものだ」「うちは貧乏だから無理だ」という認知をほぐしつつ、です。
お金のこと、病院のことなど、相談しながら、現実的にどうするか、調べたり考えたりしています。
1人で調べても、つらくなってしまうので、そこそこにしながら、手伝ってもらいます。

今、考えていること。

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【まずはここ】
・進学・就職先の場所と病院・実家の位置関係
・金銭的な部分
・何がしたいか?なにを「やってみたい」か?(ふわっっとでいい)

【ちょっとこの辺も】
・犬について
・家族について

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それから、以前ブログにも残したアイデアも、他の人と共有しながらすすめたいです。心理士さんも「君がぼくの患者さんじゃなければ協力するんだけどな〜(心理士とクライエント以外の関係をつけないほうがいいのです)」とのこと。やってみたいな。

やっぱり、ある程度長期に自由がきかないと、いろんな理由にがんじがらめになって、私はうまく動けなくなってしまう。ので、GW、なかなか忙しいです。