2016年4月3日日曜日

マイナス要素のある言葉(カウンセリング)

今回のカウンセリングは、主に現職場における「雑音が気になってつらい」ことについてでした。

雑音というだけなら耳栓でシャットアウト出来るのですが、人の声となるとそうもいきにくいです。また、「音」だけでなく「意味」に反応している部分もあるので、そこはいたしかたありません。

今回の場合は、ある人の仕事の仕方がやりだまにあがっていることが、私には全く関係ない(当事者でも槍玉に挙げているひとでもない)のに、つらい。いたたまえれない、感情に飲み込まれてしまう、悪い言葉(必ずしもそれは悪口ではないのですが、感情としてマイナス)の閾値を超えてしまう。ということです。

そして、職業センタと職場においてはそれを今すぐどうこうするのは非常に難しいとのことで、カウンセリングに課題が回ってきました。



「共感できない」のではなく「共感のスイッチ」に不具合がある


私が上記のような状況に弱い理由のひとつには、発達特性があるようです。
自分で自覚している部分では、「言葉に含まれる強い感情やマイナスイメージが閾値を越えると、パニックになってしまう」ということ。

それから、今回心理士さんに教えていただいたのが「共感のスイッチ不具合」です。
心理士さんによると、発達障害をもつ人はよく「共感の欠如」がいわれるが、まったくそんなことはなく、「共感しているのだが、その観点やスイッチング、フォーカス等に不具合があり、おたおたしてしまったり、とっぴな言動になるのではないか」とのこと。
私の感覚とも合います。また、時折当事者の方で「空気は読める。でもどうしたらいいのかわからない。」とか「空気は読める。読みすぎてしまって混乱してる」という人がいるのもうなずけるかもしれません。



抑うつによる感情接触への弱さ


また、抑うつによる「強い感情にふれるのが辛い」という症状もあるようです。私は現在尺度では中程度の抑うつですが、あと少しで強い抑うつのカットオフとなるようです。
そういう抑うつ・うつ病の状態の人は、特に「誰かがいじめられる場面」「起こっている場面」「恥をかく場面」といったものを目にする・耳にすることに弱く、避けがちになるとのこと。
まさに私はこれで、いたたまれなくてどうしようもなく辛くなって、その場から逃げます。
小さいころからそうなのです。
これは発達特性としても出るという説があるそうですので、私が「小さい頃から」であるのはそういう部分かもしれませんが、抑うつの影響も大いにあると思います。

以上の説明・話を主として今回のカウンセリングは終了。うつが強くでているため、次回、抑うつの治療を新たに導入するそうです。
また、前回は臨床心理士の集まりでしたが、今回は精神病理学者(精神科医師)の集まりに、私の事例を出すそうで、その了解をしました。「自分のこだわりの話にとらわれず、体験を語れる」人は臨床では少ないそうで。ネット上ではよく見かけますが、不思議です。

主治医とは絵の話をし、投薬変わらず。WAISの日程に空きが出たので早まりました。

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